知ってるだけじゃダメです

ぜんぜん知らなかったことってあんまりない。が、「こんなに○○だったとは」「意外に○○じゃな」とは毎日思ってる。

出版社の裏切り事例

秋田書店による景品水増し不当解雇事件」が、会社と元社員との間で和解をみたとのこと。

www.seinen-u.org

なんかこういう、こういうというのは出版社の労使関係のゆがみが刊行物に波及して著者や読者を裏切る事例のことだが、定期的にあるなと感じる。

記憶にある事例を整理しておこう。

学研パブリッシングのムック「自然農法で野菜づくり」DTPがひどすぎて2刷に交換・改版刊行(2013年4月発覚)

hon.gakken.jp

問題箇所の大半は誤植(漢字などの1字まちがい)ではない。もっとひどい。

蛸巻日誌 2nd 同僚が買った本がヤバい(校正的な意味で)

↑が告発者(最初の報告者)の記事。DTP技術者のブログ。問題箇所の指摘とともに、事態の進行についても追ってくれている。

社会的な影響は、以下あつかう他の事例に比べて小さいと思う。実際版元である学研パブリッシングは「一部に誤植がある」程度で済ませているし、販売中止・回収はせず希望者は2刷と交換するというのは落丁レベルの対応で、たしかにその対応が過小だとは思えない。

ただ、実例は告発者の記事を参照いただきたいが、出版(とくに編集と組版の)関係者にとっては目を覆う、これを校了した編集部は全員労基署摘発余裕即診断書休職レベルの残業休出状態だったんですよね? そうですよね? でなきゃこんなこと起こらないですよね!? と一人ひとりの肩つかんで揺さぶりたいレベル。

いまもamazonの「なか見検索」に残るこのムックの奥付見るかぎりでは、社員編集と、このムックの元になった雑誌もやっている編プロとの共同編集になっている。この編プロはいまでも同じ雑誌の編集をやっているようだ。

制作の段階として、「問題」が生じたのはDTPの時点であることはまちがいない。ただし、DTP技術者は校正者ではない。DTP作業の第一段階が終了して、このくらいの荒れがあるのはまったくめずらしいことではない。したがってこの時点では問題でもなんでもない。編集者にとっては素材をDTPを担当するデザイナーに渡すのは第一段階、DTPが最初に出てきて第二段階、さあ赤ペンもってスタートだ、というところ。しかしこの本はそこで校了して印刷しちゃった、というおおおおおおい!! どこに目つけてんの!!

 つまり、これは編集者にとっては見慣れた状態だ。ただし校正の途中段階としては。だからこそ刊行物として見たときのショックが大きい。トイレ入ったらうんこが便器に鎮座してるみたいな。見覚えあるけど堂々と他人のを目の前に出されたらショックでしょ。流せよ! 流せよ!!!

 単なる「誤植」あつかいになったために、経緯の検証がなされた形跡はなく、もちろん発表もされていない。ただし背景に、スケジュールの尋常でない逼迫や編集担当者の過重労働が感じられる事例だった。

ぴあの「ももクロぴあ Vol.2」印刷部数虚偽報告(2013年9月発覚)

corporate.pia.jp

印税支払を減らすため、印刷部数を実際刷ったものより少なく権利元に報告。本体定価933円のもの10万部を6万部と偽ったわけだから、印税5%としても186万6000円。10%ならむろんこの倍。けっこうなもんだ。

その後、社がつくった特別調査委員会で過去の刊行物を調べ、20点について「印刷部数と契約部数に齟齬があったもの」が見つかったそうだが、これはない話じゃない。もちろん、実際の印刷部数が契約部数を下回り、かつ契約部数通りに印税が支払われているなら、だ。

プレスリリースのなかで「今回の事案の本質的な原因について」の項の冒頭に「特定社員における事象の発生が多いこと」が挙がっている。これ、まさか現場の社員のことじゃないですよね。いや、懲戒内容を見れば現場の社員にもっとも厳しい罰が下っているので、現場の社員を指していることは明らかなんだけど。

どこがおかしいかって、起こっていることが現場の担当者の発想じゃないからだ。10万部刷って6万部分しか印税払わず200万円儲けるっていう発想が、現場の社員から出るはずがない。まずその200万円は本の売上と必要経費の差額として社の手元で浮くお金で、現場の社員には一銭も入らない。それに10万部刷ったことは、印刷所の請求が回るし配本を決めたりする以上少なくとも会社は知ることになるし、印税率も社長名で交わされる契約書に明記してある。印税は契約書に基づいて経理担当者が手続きするから、編集であれ営業であれ担当者のところは通らない。これは社員数人の小出版社でもないかぎり共通だと思う。

現場の社員に、著者に対して印刷部数ごまかすモチベーションが発生するとしたら、社の手元でいくら浮いたかが社員と社の間で共有され、奨励されていたとしか……

いずれにせよ、いまはやってないことを願う。

秋田書店のマンガ雑誌読者プレゼント景品水増し・告発者不当解雇(2013年9月発覚)

同時だったのか! 印象に残っているわけだ。

秋田書店の社員嫌がらせ使い捨てブラックぶりは業界に鳴り響いていたが、読者に対するモラルのなさもすげえな……と絶句する事件だった。

ぴあの印税ごまかしもそうだが、雑誌で景品を用意しないで懸賞を行うなんてことは、会社ぐるみであれば非常に簡単なことなのだ。かんっったんにできてしまう。著者にも読者にも、見抜く方法はほとんどない。だからこそ、やってないことを信じてもらうには業界全体がぜっっっったいにやらないこと、それしかなかったのだ。そのブラックボックスというかパンドラの函が同時に開いちゃったのが2013年9月だったというわけ。

にしても「1個しかない景品が50人に当選したことにして、毎月毎月当選発表に載せる架空の名前を49人分考えさせられてた」ってのはなかなかレベルの高い拷問だ。意義がまったく感じられないことについて、作業の手を動かすことはできても、何かを思いつくのは不可能ですよ。

スクウェア・エニックスのマンガ『ハイスコアガールSNKプレイモア権利キャラクター無断使用(2014年8月発覚)

www.huffingtonpost.jp

当事者の公式説明がないので、もっとも客観的かつ専門家による記事として、安藤健二によるハフィントンポストのものを挙げておく。

著者は「(編集部が)許可を取っているものと思っていた」という。だが、実際には連絡されていなかった。そして他に作品に登場するメーカーには(事後承諾であり揉めたという報道もあったが)許可をとっていた。SNKという元のメーカーがすでに倒産している(SNKプレイモア著作権管理を引き継いでいる)とか、他のメーカーとはちがう事情もあったようだが、そのあたりは不明。

これは現場担当者がぶっ外れていた例だと思うが、その最たる発露は、単行本の最終ページがコピーライト表示に充てられており、そこにはSPECIAL THANKSとしてけっこうな大きさで各メーカーの名が挙げられていたことだ。その中にはもちろんSNKプレイモアもあった。いや、許可取ってないんだよね? なんで?

この事件は発覚したときすでに刑事告訴がなされていた。連載停止、既刊全巻回収に至るわけだが、悪意をもって取り上げている作品でもないのになぜここまでこじれたのか。労使関係のゆがみがあったのかどうかはわからんが、傍目にも担当者の判断力の不調を感じた。

2015年8月に(おそらく裁判所外で)和解が成立した。その時点では版元著者ともに復活の意思を見せていたが、連載は止まったまま(2015年10月末現在)。

発覚のきっかけが、TVアニメ化が決定し、アニメ制作会社から権利元に連絡をとったことというのが切ない。もっと伸び、広がり、力をつけて愛されるはずだった作品を、他でもない出版社の不手際がへし折った。まだ発展する余地が残されているのが救いだが、懺悔のつもりで奉仕せねばならんよ版元は。

有斐閣の「著作権判例百選」第5版で旧版編者の名前を外す(2015年9月発覚)

判例百選シリーズは、法学の初学者から専門家まで必ず知ってる使ってるという超定番。そのシリーズのよりによって「著作権」巻が著作権訴訟の訴訟物になっちゃったとさ、という皆さん大好き出オチ物件。

8割の判例について旧版と事例も記述も同じなら、旧版の編者に連絡を取らない、名前を外すなんてのはまったく理の通らない話だ。だいたいなぜ新版で外したのか? 金銭上の理由だろうか? 旧版の製作途中に揉めでもしたのだろうか?

元裁判官の大学教授、著作権の専門家をあえて敵に回すほどの理由が見えないので、これも不気味。

有斐閣は発売延期でおさめるつもりだったようだが、昨日(2015/10/28)出版差止の仮処分が決定された。

www3.nhk.or.jp

リブレ出版のマンガ雑誌「特濃b-BOY①調教特集」同人誌原稿無断掲載(2015年10月発覚)

www.libre-pub.co.jp

どんな名前の雑誌であろうが、シリアスな問題に直面することはあるわけで。

それはともかく、超弩級の担当者ぶっ外れ案件。編集部にも著者にも両面外交でホラを吹きまわり、著者の同人誌から原稿取って雑誌に掲載。著者は一部始終をツイート。即ばれて回収、本人は懲戒解雇という流れ。

超弩級ぶっ外れ案件ではあるが、もっともわたしの同情心をかき立てるのがこの事例なんですよ……編集者には、とにかく問題を起こさずに、考え得るすべての行動をして、著者を丁寧に校了まで運んで届けること、途中で何があっても、その事態は自分のところで受けとめて届けきるのが能力の証明っていう考え方が根付いちゃってるのよね……もちろんその弥縫の方向性が彼女(だろうたぶん)の場合致命的に見当違いだったのだが。

気むずかしい著者、スケジュールが読めない著者、気が合わない著者、それぞれに対応して、さも大変じゃないように受けとめきるのが美徳とされている以上、取り得る行動の範囲が自分の中でどんどん広がって、最終的にはただ自分のためだけに、何も起こってないふりをするためだけに、編集部にも著者にもホラ吹きまわるその最中の心境、それは我がことのように、むしろ我がことそのものに思えてくる。

彼女は懲戒解雇になった。それに際して、以下の条件がついている。

・はらだ先生に対し原稿執筆がキャンセルになったにも関わらず、当該編集者自身の独断で原稿の改変・改題を行い、無許諾で掲載したこと、また、はらだ先生と弊社に対し、事実経過について事実とは異なる内容を伝え、はらだ先生と弊社との信頼関係を損ねたことを、真実と認めること。
・また、上記を踏まえて懲戒解雇を受け入れ、今後、出版業をはじめとするコンテンツ制作業に従事し同様の問題を起こさないことを誓約すること。

「真実と認めること」それは彼女にとって非常に困難だっただろう。それが自分で作りだした圧力だったとしても、ものすごい圧力を感じながら必死でやっていたことすべてが徒労でありむしろ悪行だったことを自覚しなきゃいけなかったんだから。

そして二つ目の条件の「今後」以降、これはふたつの意味にとれますよね。彼女はこのあと、出版業をはじめとするコンテンツ制作業に従事できるのかどうか。

「従事できない」ではないと思いたい。

気持ちとしてもそうだし、一つの会社を懲戒解雇になっただけで、彼女の将来にそれを課すことができるのか疑問だし。ああそもそも、またこの仕事に関わらなければ、「同様の問題」をふたたび起こすのは不可能だ。

最後に、減俸・降格になった社長部長デスク全員女性なのが、そんなこと言ってる場合じゃないが、嬉しくなってしまう。女性誌だって大きい会社ならデスクも編集長も大半男なことが多かろうから。

※「彼女」は複数の出版社を渡り歩いて同様のスキャン同人誌無断掲載事件をたびたび起こしている札付きである、との指摘もあったようだ。そうなのか。初犯であることを前提に考えちゃった。そうなると外面のいいサイコパスに編集部がどう対応するか案件に化けてしまう。

エイ(木世)出版のセブンイレブン向け廉価ムック「日本酒入門」原著者無断二次使用(2015年10月発覚)

10月26日発売の『日本酒入門』に関する件 |エイ出版社ニュースリリース

いまのところ最新事例。発覚したのは、版元が「複数刊行致しました日本酒関連のMOOKおよび書籍」とさらっと十把一絡げにあつかったうちの1冊の著者による告発だった。

ameblo.jp

↑著者の最初の告発。あっという間にバズった。著者はその後も事態の報告をつづけ、回収が未徹底であること、版元のニュースリリースが謝罪文の体を成していないことなども怒りとともに公表している。

セブンイレブンやローソンで、雑誌ラックの手前に出版社ごとの簡易什器が下げられ、PHP研究所講談社の書籍が置かれているのはよく見かける。当初は店売書籍のうちコンビニ需要が見込めるものを流していたのだと思うが、最近はコンビニ専用の書籍がふえてきたように見受けられる。コミックはずいぶん以前からコンビニ向け廉価版を刊行していたわけで、実用書の対応は遅いくらいだったのかもしれない。

実用書において顕著な問題は、手間(これは時間、著者を含めた外部のマンパワー、写真などの誌面要素、ぜんぶを含めた概念で、要はお金)がかかるわりに読者が払ってもいいと思ってくれる額が少ないこと。コンビニという場ではその額はさらに減るだろう。しかも「安いのにいっぱい載ってる」という情報量への期待が大きい。じり貧。

そこから容易に、コンビニ向け商品に手間(くどいようだがイコールお金)をかけられない→すでに製作費を払って制作が済んでいる複数の書籍から引っ張ってきて、引っ張って切り貼りする編集の手間賃(やっすい)だけ払って、安い本作っちゃおうぜというナイスアイデアが出ちゃうわけである。だろう(推測)。

今回の告発者である著者は「フリーランスだから、下請けだから舐められた」という点を強調しているが、版元にとってはそれは本質的ではないと思う。

  • もう支払いが終わった既刊はつまり自社コンテンツ(そんなわけないのだが)という勘違い
  • トラブルを回避するのに先に手間(二次使用料を請求されるリスクがあっても原著者に連絡して許可取るとか)をかけた方が結果的に得だと思えないほど状況(金銭的/時間的)が逼迫していた
  • 先に出した書店売りの既刊とコンビニ廉価本とは読者が被らないからたった半年前の本から引っ張ったっていいじゃないと甘く見た

なんかが先で、つまみ食い対象としてその著者の本が選ばれたことはその先にあることなんじゃないかと。……いや、この辺の判断がイチイチ甘いことの根本に、フリーランスや下請けである書き手への軽侮があるのかもしれないな。否定できない。

コンビニ廉価本ってあの値段でどうやって成り立ってるんだろう、という素朴な疑問に、そりゃそうですよねーという回答の一端が示されちゃった事例だった。

 

じゃ、だれが神様なのか

なんか人ごとみたいに偉そう書いてしまったが、以上の事例全部、わたしが「ああああああ」と思っちゃったものばかりだ。その度合いに差こそあれ、まったく無縁だと言い切れるものはひとつもない。やらかしたらどれだけ痛いかわかるから「ああああああ」ってなる。それはニアミスをやってるからです。実体としても、意識の上でも。

編集は上司を末端とする社の意向と書き手との間に板で挟まれやすい仕事で、社の意向は切り離しがたく売上と結びついている。労働条件の悪さやなんかが引き金になって判断力を失い、どちらかを過度に優先しはじめると以上の事例みたいな大事故が発生しやすいのだと思う。以上の事例には書き手の偏重事例ないですけどね。

とはいえ、バランス良くというのは簡単だが、コンテンツを作る仕事はのめりこんでナンボの部分もあるので、最初からブレーキ引いていたら生まれるものがない。

社(編プロの人にとっては版元編集ってことになろうか)も、書き手も、神様にして信仰するわけにはいかない。じゃだれを信仰して、指針にして、仕事すればいいのか。これは決まっている。読者だ。読者を神様にすればいい。

www.minamiharuo.jp

これは三波春夫オフィシャルサイトで「お客様は神様です」というフレーズの真意について説明した記事。このことばが、歌手と聴衆二者の関係しか射程に入れていないこと、三波が、神に奉納するように心を昇華して毎度のステージに立ちたいと願っていたことが簡潔に説明されている。いかに暴虐であっても許される、だって神だから、という人口に膾炙した用法は不本意だったようだ。

編集者が心に住まわせる読者は特定個人ではない。ある種理想化された読者だが、その理想は自分が都合で左右できるようなものではない。その意味で「神様」。刊行物は供物であり、つねに自分にとって供物にふさわしいものでなければならない。精進潔斎して供物には臨むべきで、寝不足ふらふらで赤ペン握るなど許されないことである。

神であるが故読者は厳しく、わたしが供物を作る過程でなにをしてなにをしなかったかを見通している。そして、無駄な努力に対して加点してくれることはない。アンテナに引っかからなければ完全に無視する。神に「わたしに同情しろ」などとはいえない。

存在しないプレゼントの告知記事を校正するとき、ぎりぎりでDTP入稿したページががったがたのDTPで上がってきたとき、コンテンツにかかわった人のすべてが奥付やクレジットになっているか確認するとき。供物にしずかに向き合う瞬間が皆無だったとは思えない。そのときに心の裡に神様がいれば、ベストの判断ができる確率が上がる。

建前の話をしてるわけじゃない。むしろ経験知やノウハウに近いと思う。とはいえ、「読者が一番」なんて建前だと思わなければやっていられない環境もあるのだろう。さいわいいまわたしがいるジャンルは、わりと真顔で「読者のために」が言える場だ。ありがたい。

思い出した事例を箇条書きでぱっと並べるだけのつもりが、各事例についていろいろ書いてしまった。もうあんまりこの事例を追加したくはないもんだ、お互いに。おわり。